国際政治の「パワー」と市場経済の「マネー」 |
さて、アーノルド・ウォルファーズの名言をここにポイントフォームで少し書きだしておきます。参考まで。
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●多くの点で、国際政治におけるパワーと影響力というのは、市場経済における「マネー」と同じ役割を果たしている。
●このような経済では、マネーというのは消費と生産のために必要となるモノを購入する際には不可欠なものである。
●したがって、ほとんどの人々にとって、マネーの獲得は直近の目標となり、自分のため、もしくは利便性において価値のあるものを獲得するための「手段」なのだ。
●ところが少数派である二番目の人々は、賢明であったり、もしくは幸運なために、準備資金を蓄えることができるのだ。
●これらの資金は、まだ見ぬ危機や、チャンスへの備えとして有用であり、人の信用を上げてくれるし、経済面での安心や行動の自由の感覚を与えてくれるのだ。
●三番目のグループは単なる「ケチ」と呼ばれる人々であり、彼らはマネーを「サービスを得るための手段」としてではなく、それ自体の獲得に価値を見出すのだ。彼らは無限にマネーを貯めようと思うのだ。
●影響力とパワーを求めるという点で、国家も人間のマネーに対する態度と同じように三つのカテゴリーに分類できる。
●まずほとんど国は最初のカテゴリーに分類され、外的な必要条件や、その獲得のために支払う犠牲の大きさのためにきわめて制限のある、貴重なアイテムである「パワーと影響力」を求めるのだ。
●これらの国々にとって、パワーと影響力というのは、国家が直近で必要となるものを満たすために使われるのだ。
●二番目のグループは、パワーや影響力を直近の必要性のために使う必要がない。このカテゴリーに属する国家は、脅威が存在しない時、それに特に欲望を持っていない時でも、軍や同盟国を維持するものなのだ。
●イギリスとポルトガルの数百年間にわたる同盟関係はこの典型的な例といえる。
●最後のカテゴリーに属するのは、パワーや影響力そのものの獲得を目的として求める国家たちである。
●ここでもマネーの場合の「ケチ」の例でも明らかなように、このような国はパワーの無制限の獲得や、他国へ過剰な要求をしたりするのだ。
●このような国家では合理性というものが失われ、その行動は病的になり、状況に関係なくパワーの最大化に向かって突っ走ってしまうのだ。
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要約すれば、「その日暮し」「金持ち」「金の亡者」ということでしょうか。それが国家のパワーに対する態度にも当てはまる、と。