新しい人文学 |
●長年仕事をしてきたが、実に様々な政策の失敗を目にして来た。
● ソ連が崩壊した時は、アメリカから経済の専門家を送り込んで調査したのだが、彼らは「信頼関係が希薄なために崩壊してしまう社会」という要素に無頓着であった。
●イラク侵攻の時、アメリカのリーダーたちは、イラクの文化の複雑性やフセインの恐怖政治による国民に残っていた心理ダメージについては全く準備できていなかった。
●アメリカには、「銀行家たちは合理的な生き物であり、あれほど大規模にあんなアホなことをするはずがない」という前提を元にした金融システムがあった。
● 我々は過去30年間にわたって教育システムを何度も修復しようとしてきたがーー大規模校から小規模校、チャーター校からバウチャー校にいたるまでーー、問題の核心である「生徒と教師」という問題を長年避けてきたのだ。
●これらの失敗なのだが、私は最近「どうやらすべて共通のところに問題があるのではないか」と感じるようになった。それは、人間の本質というものをあまりにも単純にとらえたモデルを使って政策が提案されている、という点だ。
●我々が持つ、自分達の社会像について一般的なものーー政策の分野だけでなく、他の多くの分野でもーーとして挙げられるのは、「我々は分裂した生き物である」ということだ。
●たとえば人間の持つ「理性」というのは、たしかに信頼に足るものであるが、これは「感情」とは分けて考えられており、ここに本当の問題がある。
●このような考えに従うと、「感情を理性で抑えた分だけ、社会は進歩できる」ということになる。
●ところがこのような考え方は、我々の文化を歪めてきたのだ。
●我々はどうも合理的で意識に上がってくるものを強調することが多く、その下にあるプロセスについてはあまり触れていない。
●我々は具体的かつ物理的なものについて語ることは確かに上手いのだが、感情について語るのは下手である。
●たとえば我々が子供を育てる時には、成績の順位や偏差値に注目しがちだ。
●ところが最も重要になってくる「性格」や「人間関係の作り方」などについては、我々は何も教えられないのだ。
続きはまたあとで。