第一章:イントロダクション:その6 |
ここで暗示されているのは、国際政治の理論を検証する最も良い方法は、最も重要となる質問を打ち出し、それに対する可能な答えを見つけることだ」というものだ。もちろんこの「答え」を政治哲学に求めようとする人はいるはずだ。
では戦争の主要な原因はどこに見つけることができるのだろうか?その答えはさまざまであり、それぞれ混乱して矛盾に満ちたものばかりだ。
ところがこの答えは、大きくわければ三つの「見出し」の下にまとめることができる。つまり、「人間の中」、「各国家の構造の中」、そして「世界の国家システムの中」である。この区別の基本的な構造や、それが国際社会の動きとどのような関連性を持っているかという点に関しては、すでに本章で触れた通りだ。
本書では、これ以降からこれらの三つの原因の見積もりについては国際関係の「イメージ」(images)と呼ぶことにする。それぞれのイメージにはその順番ごとに番号が振られており、各イメージは、戦争の原因が存在する場所によって定義されている。
本章で議論されたことにすでに示されたのは、一つのイメージによって構成されている見方というのは、他のイメージのものと矛盾するように、その内部でも矛盾することがある、ということだ。
たとえば「人間というのはどうしようもなく悪いので、戦争は不可避である」という議論と、「人間を変えることができるから、戦争を終わらせることはできる」という議論が互いに矛盾していることはお分かりいただけるはずだ。ところがこの二つの議論では、「人間に原因がある」と考えられているわけであり、したがって両方とも「ファースト・イメージ」(the first image)に分類されることになるのだ。
同様に、「サード・イメージ」の分析では、それが世界政府の創設のような誤った楽観主義や、「権力政治」(Realpolitik)の立場のような、誤って定義されることの多い悲観主義に行きついてしまうことがある。
したがって、イメージごとの意見の違いだけでなく、各イメージの内にもさまざまな意見の違いがあり、またイメージごとの「処方」というのはそこで目指されている目標や分析の仕方に影響を受けるので、イメージごとの「唯一の処方」というものは存在しないことになる。
ところがイメージと目標の組み合わせかたによっては、「論理的」なもの、もしくは「非論理的」なものという風に、それぞれ違う処方が出てくることはここでしっかりと指摘しておくべきであろう。
もし予測された結果が出なかった場合、この彼の示した「処方」が間違っていると論じることもできる。しかしこの処方が本当に正しく実行されたのかどうかということまでは誰にもわからないのだ。
たとえばよく「国際連盟は失敗しなかった。なぜならそれは本当に実験されたわけではないからだ」ということが言われる。そして、このような議論は論破できないものだ。
しかし実際に経験的な反証を示すことが可能であったとしても、本当に効力のある処方が出せるかどうかという問題は残るのだ。これは十個の別々の薬を試した病人が、一体どの薬が本当に効いたのかわからないのと同じだ。どれが本当に効いたのかどうかを見極めるのは、責任のありかを非難することよりも難しいものだ。
ある歴史の研究でA国の経済が発展する前には必ず関税の税率が上がっていることがわかったとすると、見る人によっては高い関税が経済発展の原因となることが証明された、ということになる。ところが他の人から見れば、この二つの要因は三つ目の要因によるものであり、また他の人にとってはまったく関係がないことになる。
したがって、経験的アプローチというのはたしかに必要ではあるが、これだけで十分であるとは言いきれないのだ。つまり、ある二つの出来事の間に相関関係があったとしても、それは無意味であるか、少なくとも他の分析がなされないままに「何かを意味するものだ」と結論づけてはいけないということだ。