クラウゼヴィッツの使えるコンセプト |
さて、またまたクラウゼヴィッツについて少し。今度は「弱点」ではなくて、どちらかと言えば「長所」のほうを。
英米で実際にクラウゼヴィッツを戦略分析に使う人々に共通するのは、以下のようなコンセプトが「使える」というパターンですね。そのコンセプトの主なものを、とりあえずいくつか挙げておきます。
======
まずクラウゼヴィッツのコンセプトの主なものは、大きくわけると二つに分類できる。
1、戦争と政策(政治 policy)との関係について
2、戦争そのものの性質(本質 nature)について
この二つでそれぞれ使われるコンセプトですが、まず1のほうは、
①政治が戦略よりも上であるべき → しかし戦争には独自の「文法」がある
②戦争は決闘である → 敵の存在や意図を考慮しないとダメ!
③政治家は軍事のことについてもっと知るべきである
ということが挙げられるかと。それに対して2のほうはけっこう数がありまして、
①戦争には「客観的」な面と「主観的」な面がある。
→客観・・・すべての戦争に共通するもの
→主観・・・各戦争の個別のキャラ
②戦争の「奇妙な三位一体」
→情熱(国民)、チャンスと創造性(軍隊)、理性(政府)
③戦争の天候・・・危険、不確実性、発揮、チャンスなど。「勝利病」もこれに含まれる?
④摩擦・・・計画と実際に行われる戦争を区別するもの。実行の際にヤバいことが起こることを警告。
⑤戦争の霧・・・情報の不確実さ。IT革命でも乗り越えられないもの。
⑥精神面の強調・・・戦略をテクノロジーなどの物理面だけで行おうとすることを警告。リーダーには賢さや知識よりも意志や性格のほうが大事であることを説く。
⑦重心・・・後付けだが、過去の戦争を分析する際には使える。
⑧政策の論理vs戦争の文法
→戦争の文法(グラマー)は個別の戦争に独特なもので、独自に完結していることが多い。
→つまり政治家と軍人は常に互いを尊敬して互いに学び合う必要がある、という提言につながる
======
以上です。これだけじゃなんだかよくわからないと思いますが、まあメモ代わりですので細かいところは勘弁して下さい。