社長の顔と「レベル分析」 |
さて、地政学や地理の関係について続けて書こうと思ったのですが、昨今の日立/トヨタの社長の話題について少し補足的なことを。
昨日のエントリーでも書いたように、日立の新社長の運はかなり低めです。
しかしここで私がいつも考えてしまうのは、「なぜ日立(トヨタ)は、こういう大事な時に運の弱い社長を選んでしまうのか」、もしくは「なぜ彼らが社長になれたのか」ということです。
一般的な説明としては「トヨタや日立という組織がダメになっているから」ということが言えるんでしょうが、国際関係論を少しかじった人間としては、やはり大きくわけて三つの分析のしかたがあるなあと考えてしまいがちです。
このカギは、このブログを昔からお読みの方々にはおなじみのウォルツの「イメージ分析」ですね。
ウォルツは自身の博士号論文で「戦争の原因は何か」ということを調べているうちに、あらゆる政治哲学にはだいたい答えが三つあったということを発見しました。
ひとつは「ファースト・イメージ」で、これは「人間の本質に原因がある」という立場です。簡単にいえば、「人間というのは未熟で欠陥的な存在だから戦争を起す」というものですな。
二つ目は「セカンド・イメージ」で、これは「人間じゃなくて、国家のような組織が悪いから戦争を起す」という説明です。こうなると「国家体制を変えれば戦争が起こらなくなる」といって、ネオコンたちのように、イラクやアフガニスタンの体制を変えれば(レジームチェンジすれば)世界はよくなるという根拠にもなります。
三つ目は、ルソーのように「(国際)社会が悪いから戦争が起こる」という立場です。こうなると体制や人間性というよりも、国家同士のバランス・オブ・パワー(勢力均衡)という、いわば「国際社会の力関係こそが戦争の原因になる」というものです。この典型はミアシャイマーですな。
これを応用して、最近ではこのレベルを少しいじって、あまりファースト・イメージの「人間性」を扱わずに、「リーダー(個人)」、「組織の体制」、「社会的な枠組み」という三つのレベルで見るパターンもあります。
伝統的にジャーナリズムなどではこのような「個人」を強調するものが多いのですが、ネオクラシカル・リアリストでもシュウェラーあたりがこれを組み込んで理論化しようとしております。
で、この考え方を「横綱論」にあてはめて考えますと、やはりトヨタや日立の社長の顔の運から見るというのはどうしても「個人レベル」を強調していることになりますね。
ところがこのような社長を選んでしまったトヨタや日立という会社の「組織」にそもそもの原因がある、という説明もできるわけですから、そうなるとこれはセカンド・イメージの「組織レベル」の話になってきます。
また、これを現在の「日本の社会全体や、世界経済の停滞に原因がある」という人もいるわけですから、こういう人たちはサード・イメージの「(国際)社会レベル」から説明していることになります。
じゃあ結局どこに原因があるのかというと、一番簡単な答えは「三つのレベル全部にある」ということになるわけですが、これでは元も子もないので(苦笑)、学者たちは各レベルごと、もしくはそれを(意識的/無意識的に)ミックスした説明をするわけですな。
今回のトヨタの一件では、当然のように「トヨタ」という会社組織にフォーカスを当てた、いわゆるセカンド・イメージによる説明が圧倒的に多いわけですが、私は「横綱論」を使って、どちらかといえば社長という「個人」を見るファースト・イメージ的な説明をしていることになります。
そこで最初に戻るのですが、会社をつぶす運命を持った人が社長になるべくしてなったという「個人の運命」なのか、もしくはあのような運の悪い社長を選んでしまうのはトヨタや日立のような「組織」のせいなのか、それともそれを許してしまう日本や世界の状況(もしくはアメリカの陰謀?)のような「(国際)社会」に原因があるのか、という疑問が私の中で渦巻いてしまうわけです。
もちろんそれに対する本当に「正しい」答えなどはないのですが(苦笑