大佐の体験:その1 |
さて、先日行われた火曜日のランチミーティングで米空軍大佐が話してくれた内容を。
すでにこのブログを昔からご覧の方はご存知でしょうが、私のクラスメートには米英をはじめとする現役の軍人たちが私の先生の元で博士号課程を学びに集結しているわけですが、とくにこの彼のような現役の大佐クラスというのは珍しく、しかもやっているのが「スペースパワーの新しい理論」ということもあり、私たちのコースメイトたちの間でも何かと話題の人物であります。
現役の米軍の将校ということもあり、ロンドンなどにもけっこう講演などに招かれるようで、連日イギリス国内を色々と忙しく飛び回っております。
また、アイルランド系ですからけっこう飲むのが好きで、我々に誘われるとパブに気軽に飲みに行きます。町の彼の行きつけのパブには、彼専用のグラスが置いてあるほど。
さて、今回この彼が話をしてくれたのは99年のコソボ空爆における実体験でありまして、具体的にはウェスリー・クラーク将軍(当時のNATO司令官)の下で彼が何を体験したのか、ということです。
ではいつものようにポイントフォームで。
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●戦略において「オペレーション・レベル」があるかどうかを考えるには、とりあえず歴史を振り返ってみるといい。
●たとえば第二次世界大戦だが、ハインツ・グデーリアンが電撃戦(ブリッツクリーグ)を考案しており、これが現在の我々の言うところの「オペレーションレベル」だ。
●これの全体の流れを指揮していたのは総統(ヒトラー)じゃなくて将軍たちであり、彼らが個別の戦術レベルの戦いの流れを毎日監視して指揮をしていた。
●第一次世界大戦でも例がある。連合国側がはじめてまとまった行動をとれたのは1918年からだが、この時にはじめて「コンポーネント」というコンセプトが出てきた。これは一つの軍が独立で一致した行動をする、というもの。
●空軍で「コンポーネント」を指揮したのがイギリスではトレンチャードで、アメリカはミッチェル。
●ロシアの空軍も第二次世界大戦から独立して一致団結した行動をする必要があると確信。
●ちなみにイギリスはRAFがすでに爆撃部隊などを独立させていたが、アメリカでは空軍はまだユニットレベルで陸軍に従属していた。
●しかしアフリカ北部での失敗のあと、アメリカもこの教訓にならい、独立空軍の創設に動き出す。
●このような経過を見て行くとわかるのが、空軍は空軍のため、陸軍は陸軍のため、そして海軍は海軍のためという「専門化」への欲求である。これがオペレーションレベルでの運用につながる。
●しかしそれと同時に軍を越えた統合運用への必要も出てくるので、オペレーションレベルでは専門化と統合の間でトレードオフの必要もでてくる。
●ここで出てくるのが「摩擦」である。
●戦争において指揮系統が増えると、そのレベルごとに摩擦が発生するのだ。そしてそれはまさに官僚的な弊害によるものもある。
●私は本当の戦争の中で、各階層で摩擦を経験したことがある。
●ユニットのような戦術レベルでエアパーをどう使うかを経験したし、オペレーショナルレベルでは司令官の下でターゲットを実際に選別するという作業も行ったことがある。
●イタリアの(ダムリンという町の?)「ストラテジー・セル」と呼ばれる場所でも働いたことがあるが、皮肉なことにここで行っていたのは実はオペレーショナルレベルの作業だった。
●これを考える上で一番参考になるのが「アライド・フォース作戦」だ。これはセルビアがコソボに進入してアルバニア人を殺害していたいわゆる「コソボ紛争」の時にNATOが行った武装介入だ。
●この時にNATO軍が実力行使として許可されていたのは、エアパワーだけにであった。最高指揮官はウェスリー・クラーク将軍である。
●しかしこの時に空軍は何もできず、実際のターゲティングを行ったのは海軍の作戦プランナーたちだった。
●これはすごいことだ。なぜならこの作戦の最初の一ヶ月は、「陸」の戦闘を、「空」から戦うために、「海」の連中が作戦を作っているという構造だったからだ(笑
●海軍のやつらもできるだけのことはやってくれたと思うが、やはり彼らには限界がある。
●しかし彼らも「戦争の霧」の中でベストを尽くしてくれた。戦っている最中は「ベストを尽くす」ことしかできないのだ。
●インテリジェンスの奴らもベストを尽くしていたが、一番難しいのは、現場にいけない状態で、相手が何を行おうとしているのかという「意図」を知ることだった。
●しかしこれは我々の生活にも当てはまる。彼女とか彼氏がいる人ならわかると思うが、違う人間の「意図」を理解するほど大変なことはないのだ!
(ここで先生が、「異性というのは異国の異文化だからなぁ」と間の手を入れて、一同爆笑)
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ここまで書いて時間切れです。続きはまた明日。