反テクノロジー派の流れ |
黙々と論文を書いている毎日なのですが、先日図書館に調べものに行ったついでにテクノロジー関連の哲学の本を少し読んで面白かったので、メモ代わりにここに少し。
社会科学系の学問だとおそらく共通しているのでしょうが、一つの概念(たとえば私の場合は「地政学」)が出てくると、それを研究していく過程で、かならずそれに反対する学派が出てきます。
たとえば地政学(というか古典地政学)の場合は、「批判地政学」や「反地政学」というのがそれに当たるわけですが、テクノロジーの哲学の場合もまさにそれでして、テクノロジーの社会的な影響について研究していると、そもそもテクノロジーに反対する思想や勢力も出てくるわけです。
テクノロジー研究の場合、この反対派はけっこう昔からおりまして、たとえば図書館で読んだ本の中には、なんとこれはあのジャン・ジャック・ルソーから始まった、みたいなことが書かれておりました。
たしかにルソーといえば「自然に帰れ」的なことを申しておりましたが、彼の生きた時代は産業革命の始まる前の18世紀後半ですから、彼が何に対して「自然に帰れ」と言っていたのかというと、一つは「文明」や「科学」というものが人間のモラルや社会に対して悪影響だ、ということみたいなのです。
これが「ロマン主義」(romanticism)ですな。
で、これがドイツに行くとカントになり、ここで数学や物理学によって解明される「理性」に対する「超越的な理性」みたいな概念が出てきて、イギリスに来ると詩人のワーズワースみたいになって、いずれも「反テクノロジー」の源流となったみたいですね。
これが進化して南アフリカのヤン・スマッツから出てきた「ホーリズム」(全体論)などにつながるわけですが、これらを大きくみると(社会)科学の「還元主義」に対する挑戦とも言えるとか。
産業革命が出てくるとさらにこのテクノロジーに対する反発や自然に対するあこがれが強まっていき、まずは機械に仕事を奪われた「ラッダイト」(Luddites)という機械破壊運動を起こす人々が出てきたわけで。
と面白くなってここまで読んでしまったのですが、時間もないので続きはまた今度。
明日はミーティングなのでまたその報告を書きます。