ミーティングの内容:その1 |
さて、さっそく昨日のランチミーティングの話の内容を。
先週末にうちの学校で行われた「自由主義の戦争方法」というテーマのカンファレンスは確かにためになったのですが、個人的にはこの火曜日のランチミーティングのほうが似たような仲間と興味深い話ができる点で楽しみが違います。
今学期からこのミーティングの内容が少し変わり、生徒が話すテーマを交互に持ち寄ってそれについてみんなで議論するという形になったことはすでに触れた通りですが、今回は最初の発表者がイギリスの若い学生。
聞くところによるとこの彼はまだ24歳くらいで、すでにこの学校でマスターを終えており、サンドハーストにある陸軍士官学校に入学したかったらしいのですが、腰を悪くしたとかで三ヶ月ほどで退校し、こちらに戻ってきてドクターコースを始めたそうです。
この彼の発表からいきなり始まるのかと思いきや、うちの先生から色々と連絡事項があり、しかも彼の仲間内で話題になっている、陸軍戦略学研究所が発行する「オペレーショナル・アート」を批判した小論文(モノグラフ)についての説明がはじまりました。
Alien: How Operational Art Devoured Strategy(無料でPDFのダウンロード可)
この論文で、「オペレーショナル・アート」という理論とそれの現場での実践の間には驚くほどの差があり、もはやこのような概念は単なる宗教でしかない、という強烈な批判が展開されているそうです。
ところが「戦略家」である先生としてはこのような議論は我慢ならないようであり、しかもこの論文のシリーズを編集している人と知り合いだそうで、「これについて奴と一度話あわなきゃいかん」と憤慨した様子でした。
たしかにクラウゼヴィッツは『戦争論』において、「戦略」のすぐ下に「戦術」のレベルを持ってきておりますし、この「オペレーショナル・アート」という言葉がアメリカで本格的に使われ始めたのは82年になってからなので、それほど古典的な概念というわけではありません。
その次に先生が語り始めたテーマとしては「兵士と戦士の違い」でありまして、これはつまり「人を究極まで戦わせるのは何か」ということであります。
軍隊の中でも、ほとんどの人は「単なる兵士」なのですが、一部には本当に戦うことが心から好きな「戦士」(ウォーリアー)がおりまして、これは何によって差が出るのかという話。
これについては先生は私のコースメイトの元グリーンベレーの生徒にある論文(JSSのもの)を用意してきており、「これを読んで来て感想を聞かせて欲しい」と指示。
私はこの宿題を申し付けられた彼に、個人的にこの「兵士と戦士」を分ける問題についてどう思うのかについて質問したのですが、彼としては
「兵隊ってのは確かに戦う目的を信じているほうが強いけど、軍隊の中には単純に戦うのが好きな奴はいたよ。フランスの傭兵部隊なんかがそれだよね。彼らは戦う目的なんかどうでもよくて、とにかく戦いたいだけなんだもん」
とのこと。これは確かに一理あります。
「戦略の階層」でこれを考えると、これは「世界観」とか「死生観」のレベルまで行く話ですが・・・やはり「アイデンティティー」になるのかも知れません。
いや、単に「技術/戦術」レベルか?!
話が長くなりましたのでこの続きはまた明日。