こちらの大学のエッセイで高得点をかせぐ方法 |
昨日お知らせした毎週火曜のランチ・ミーティングなんですが、先生に自分の話すテーマをいくつか提案したら、さっそく返信がありまして、なんと二週間後にはいきなり私の番ということになりました。
話すネタは日本での蓄積があるので(ニヤリ)それなりの数はなんとなく準備できそうなのですが、今回はとりあえず拙訳『戦略論の原点』の中のネタを使って「戦略論の極意」みたいなことを語ってみようと思っております。
このミーティングで私みたいな人間が戦略論の世界的権威の前で「戦略論の極意」みたいな話をするのもどうかと思いますが、まあ「東洋人はこう考えてます」みたいなところでけっこうごまかせるのではないかと(笑
そこで昨日のエントリーの話のつづきと関係してくるんですが、我々が書くエッセイ(小論文)というのは、ある意味でこのランチミーティングでみんなが論じるテーマのように、「基本的に自分が扱うテーマの答えを心の底から信じていないくてもいい」ということが言えてしまいます。
私も随分長いこと留学してますが、これはいまだに心の中で少しひっかかっているところです。
しかし私が経験している限りの範囲で言うと、やはりこちらの社会科学系の論文では、「どれが真実か」というものはそれほど重要じゃないのです。
と書いてしまうとちょっと誤解をする人がいるかも知れないのでさらに説明すると、こちらの論文では、そもそも出されたテーマに「本当に正しい答え」というものはない、という「前提」(アサンプション)があるのです。
「じゃあ答えることに意味はないじゃん」という人もいるかも知れませんが、そうではありません。
そもそもこちらの小論文では何を求められているのかというと、質問への答えの「クオリティー」よりも、それに答えるプロセスの中の議論で「いかに強い説得力で論じているのか」ということなのです。
つまり「議論の強さ」を、短い文の中で十分デモンストレートできてしまえば、それで全てオッケーなのです。
うーん、いまだにちょっと慣れない(苦笑
そして意外なことに、その「議論の強さ」の次に、「そのテーマについて知らなければならない程度の知識の量」が問われてくるのです。
私は日本で大学教育を受けたわけではないのでよくわからないのですが、日本の場合はおそらく順番として、
1、どれだけ知っているか。
2、それをどれだけ上手く説明できているか。
という点がこのような論文の採点基準になると思われますが、こちらの場合はちょっと違っていて、
1、どれだけ説得力があることを論じているか。
2、どれだけ他の議論を知っているのか。
という順番になります。
このように考えると、こっちの社会科学系の大学教育ではとにかく「あるテーマをネタにしていかに上手いディベートをするか」ということが最優先であり、「このディベートを行うためには必然的に調べなければならなくなるから学生の知識もつくはずだ」という考えがその底にあるみたいなんですね。
つまり「アウトプット」(議論という出力)が先で、「インプット」(知識という入力)は後、ということになります。
私は以前このブログで、日本の研究と欧米の研究の違いを「八百屋と料理人の違い」にたとえてみましたが、ここで言っているのはまさにこのこと。
ようするにこちらの知識人としての優秀さは、「知識の品揃え」よりも「その調理方法」に求められる、ということなんですね。
これは少し誇張している部分があるかも知れませんが、これから留学される方がこちらで小論文を書く場合には、大体においてはこういう風なことを念頭に考えておけば間違いないかと。
よって極論すれば、「知識量」よりも「議論の強さ」をひけらかせ!、ということです。