質問に対する答え |
さて、昨日の講演会でうけた質問について一言だけ書いておきたいと思います。
実は講演会にいらした人の中にまもなくイギリスに留学するという方がいらっしゃいまして、日本とイギリスの研究の仕方の違いを教えてくれ、という質問を受けました。
これについて私はその方に、短い時間の中だったのですが、とりあえずそのエッセンスだけをお伝えしました。
ただしこの内容はこのブログをごらんのみなさんにも有益になるものだと思われますので、とりあえずここに簡単に書いておきたいと思います。
このブログを長年ごらんの皆さんでしたらすでにご存知かも知れませんが、私は日本の研究と欧米の研究の違いを、とりあえず「八百屋と料理人の違い」としてとらえられると考えております。
もちろん私は日本の大学で高等教育を受けたわけではないので本当のところはよくわからないのですが、とりあえず日本の優秀な研究者が書いたと思われる文献や研究発表を見ていると、このあたりのことをものすごく実感せざるを得ないのです。
では具体的にどう違うのかというと、まず日本の研究者には「八百屋」が多い。
なぜ八百屋なのかというと、彼らはデータの品揃えが勝負であり、ひとつのテーマについてどこまで詳しいことを知っているかということで勝負しているからです。
つまり、「私はこのテーマについては、これも知ってます、あれも知ってます、そしてこれも、あれも・・・」というスタイルが多いんですね。誤解を恐れずにいえば、いわば知識量で勝負、ということなんですな。
これの良いよい点としては、歴史のような知識量を求められるテーマの場合にはこれが非常に有利になる、ということです。
ただし問題は、これを聞いている側はまったく面白くない、ということになります。なぜなら八百屋のように、このような研究というのは「知識を並べただけ」という側面が強いからです。
よって、下手をすると「よく知っているねぇ、でもそれで?」ということになりかねない。
それに対して欧米の研究者はどうなのかというと、彼らは「料理人」なのです。
なぜ料理人なのかというと、彼らは厳選された材料を選らんで自分のやり方で調理するのが勝負なのであり、ひとつのテーマについてどのような鋭い解釈・分析をできるのかで勝負しているからです。
つまり「私はこのテーマについてはこう思います。その証拠はこれとこれです。文句ありますか?」というスタイルが多いんですね。誤解を恐れずにいえば、いわば独自の見解で勝負、ということになります。
これの良い点としては、何よりも聞いたり読んだりしてて面白いし興味深い。
しかし問題点として、その論証となる証拠がかなり恣意的に選ばれたものだけになるパターンがあり、検証がやや薄い点がありがちだ、ということですね。
どちらが良いかどうかというのは、純粋に「スタイルの違い」なのでなんともいえないのですが、日本の学者が外に行って業績を上げようと思うのなら、まずこの辺の違いを見極めて、いままでの八百屋スタイルをやめて、自分は料理人になるんだ、自分の主張や見解を押し通すんだ、自分の意見をあくまでも守り抜く弁護士になるんだ、という心構えでいけばいいのでは、と思います。
この典型的な例が、拙訳・ジョン・ミアシャイマー著による『大国政治の悲劇』です。ぜひ参考にしてみて下さい。
ということで昨日は本当に大勢の方にお越しいただきありがとうございました。