「サプライズ」と「サプライズの影響」 |
さて、豚インフルエンザ(スワイン・フルー)についてちょっと一言だけ。
世界保険機関(WHO)はこのインフルエンザウィルスの呼称を、社会的な影響が出ないように「インフルエンザA型」としたみたいですが、地政学をはじめとする社会科学系の学問ではこの「呼称問題」というのはイメージとその問題のスコープを限定してしまうという意味でけっこう重要なんですね。
この呼称問題は具体的には「食肉産業に影響が出る」という問題につながってくるので、まあこれはわからんでもない。
そういえば私にはイスラム教徒の友人がいましたが、彼らはいまごろ「ほーら、いわんこっちゃない」と考えている部分はあると思います。ユダヤ教徒も同じですが、彼らは豚肉が宗教的に禁止ですから。
いずれにせよ、今回のこの世界的なインフルエンザ騒動で一つハッキリしたことがあります。それは
「“サプライズ”と“サプライズの影響”というのは区別して考えるべきだ」
という戦略学の鉄則です。
たとえば今回のインフルエンザA型という病原体ですが、実はそれほど病原性、つまり毒性は強くないみたいなんですよね。
メキシコではけっこう死者が出たみたいなこと言われておりましたが(200人以上?)、実際に確認された数はそれほどではないようで、実は大したことないんじゃないの、ということも言えそうな雰囲気が。
ただしここで我々が冷静に考えなければいけないのは、「インフルエンザがメキシコで発生した」という事実と、それが「世界規模で大騒ぎになった」という事実を区別することなんですね。
つまり豚インフルのアウトブレイクは「サプライズ」なんですが、これ自体は人が騒がなければそれほど大きな価値を持っているわけではないわけです。
なぜなら日本では交通死者の数は年間で一万人前後、自殺者は三万人くらいいるわけですが、日本ではこのインフルエンザでまだ誰も死んだわけではありません(笑
しかしこれが深刻になってくるのは、豚インフルが騒がれたという「サプライズの影響」のほうです。何しろ20世紀最初の「スペインかぜ」なんかでは世界中で二千万人ほど死んだとかいう情報もあります。こうなると豚インフルが、交通事故の死者や自殺者の数よりもはるかに大きな社会的影響を持ってくることになるんですな。
これ、戦争なんかでも同じことが言えるんですが、たとえば一九四一年の日本の連合艦隊によるハワイの真珠湾攻撃というのは、アメリカにとって(先に攻撃を知っていたかどうかは別問題として)「超サプライズ」だったわけです。
ところが問題なのは、日本軍の攻撃という事実よりも、むしろそれがアメリカ国民の心理に与えたインパクトの大きさなのです。なぜならこのおかげでアメリカは第二次世界大戦への本格参戦を決意し、最終的には広島・長崎への原爆投下まで突き進むことになったからですね。
ようするにここでは真珠湾に関して、アメリカの「メディアの騒ぎ方」と「国民の反応」というものが重要な役割を果たしたことは大きいのです。
ところが竹島問題のように、日本は一九五二年という戦後のどさくさに紛れて韓国に不当に領有を宣言され、その一年後に国土を実効占拠されたことを、当時の日本のメディアと国民は、アメリカの真珠湾攻撃の時のようには騒がなかったわけです。
もちろん日本側にとって韓国側の一方的な領有宣言は「サプライズ」なんですが、肝心の日本の国民側(のメディア)はそれに対して国をひっくり返すような大騒ぎにはなりませんでした。つまり「サプライズの影響」は真珠湾攻撃ほどじゃなかったんですね。これが現在まで続く日本側の煮え切らない態度にも受け継がれております。
もちろん真珠湾攻撃と竹島不法占拠を同列に並べちゃいけないのかも知れませんが、これを今回のインフルエンザ問題と比較してみますと、
「サプライズ」=豚インフル発生/真珠湾攻撃/韓国側の不法占拠
「サプライズの影響」=世界中で大騒ぎ/アメリカ国民激怒/日本側の抜けた対応
という風に考えたらわかりやすい。
つまりここで本当に我々が考えなければいけないのは、「何が起こったか」という「サプライズそのもの」ではなくて、それよりもむしろ「その起こったことがどういう影響を及ぼしたか」という「サプライズの影響」のほうなんですね。
そして実際の政治を動かすのは、やはり後者の「サプライズの影響」のほうなんです。
戦略学ではこの「サプライズの影響」についての正しい対処の仕方というものを教えているんですが、その答えをお知りになりたいかたはここでその答えをお教えしております。興味のあるかたはぜひ(笑